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納豆発展の歴史

縄文人も知っていた納豆の味

日本人は、いつごろから納豆を食べ始めていたのでしょうか。
歴史の謎ですが、中国大陸から稲の栽培法が伝来する、縄文時代の終わりごろには、すでに納豆のような食べ物は出現していたという説もあります。
  現在、私たちが日常的に食べている「納豆」という認識も呼び名も、まだ、なかったと思われますが、それでも、縄文人はネバネバと糸を引く、奇妙な豆を食べていた可能性が高いのです。

縄文時代は、今から1万2000年前から、2300年ほど前までの、ほぼ1万年間も続いています。主食はクリやトチ、クルミ、ドングリなどのナッツ系とアワやヒエといった雑穀、そして、ヤマイモやナガイモ、サトイモなどのイモ類とみられ、その他の魚類や山菜、キノコなどの利用も含め、摂取カロリーを計算すると、1日の食料の80%は植物系からとっていたようです。

ヤマイモのトロロ汁と同じように、ネバネバがうま味になっているのが、大豆発酵食品の納豆です。ヤマイモをすりおろして、生で食べるような経験を身につけていた縄文人にとって、糸を引く豆も、それほど抵抗なく食べることができたのはまちがいありません。

縄文人も知っていた納豆の味

米のあとを追うように、大豆が縄文時代の終わりごろに、中国大陸から渡来してきたようです。日本産の稲ワラ1本には、ほぼ1,000万個の納豆菌が、胞子の状態で付着しており、ワラを束ねて「苞」という容器を作り、その中に煮豆を詰めておけば、煮豆からネバネバと糸を引く可能性が高くなるのです。

「苞」というと、今では納豆容器のイメージが強いのですが、古くは、食べ物などを入れる万能の容器として、日常的に使用されていたのです。納豆菌は、学名を「バチルス・ナットウ」といい、枯草菌の一種ですから、枯草はもちろん、土の中や稲の切り株、空気中と、日本中どこにでも生息しています。

縄文人の住居は竪穴住居ですから、一種の“発酵室”のような性格もあり、しかも、稲ワラを敷いて生活していましたから、納豆出現の可能性はきわめて高かったわけです。