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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その8 子どもたちの心を育てた納豆−田村直臣『幼年教育百話』

田村直臣(1858-1934)は、牧師であり。植村正久、内村鑑三、松村介石らとともす。に当時のキリスト教界の四村と呼ばれた人です。そんな彼が子どもたちに向けて書いたお話集『幼年教育百話』(大正2年)の中にも納豆売りが登場します。

「なつと売りの小娘」
九段坂の下で一人の十五六歳になる、丈のすらりっとした、色の白い、丸顔で上品な愛きゃうのある小娘が、束髪で、えび茶の袴を少し高くはき、足には靴を履き、長いたもとを上に巻きあげ、手に平たい桶をさげ、柔しい声で、
「なっと、なっと」
と売り歩いて居りました。
 すると向うからきた、せいの高い。立派な髭のある中々品格のある大学の帽子をかぶった青年がしきりに、其娘をながめて居りました。
 小娘は其青年と通りすがり、恥かしそうに、下を向きながら、小声で、
「なっと、なっと」
と再び売り声をあげますと、
青 「なっと屋さん。」
小娘「はい、有難う……いくらあげませう。」
青 「僕は、なっとを買いたいのではありませんが、少しあなたにお尋ねしたい事があります。」
小娘「何の御用で御座いますか。」……
 小娘は一二年降っても、てっても、なっと売りをしてお母さんを養い、とうとう学校を卒業いたす様になりました。
 子供には独立心というものがなければいけません。人の世話になるよりはなっと売りをしても自分を支えた方がよほど貴いのです。……
 校長は此度卒業生五十一人の内一番の大名誉を以て卒業した、卒業生は澤井常子であると言いて、卒業証書とほうびを渡しますと、満堂の人人は皆んな、手をたたいて、賞めました。すると娘は側に座っていた母を立たせて申しますに、
小娘「私は自らこの卒業証書やほうびを受くる値はありません、この私の母が涙の内に、神のお助けにより、私を育ててくだすったおかげでかく名誉を以て卒業することができました。」
と言いて其卒業証書と、ごほうびをお母さんの手に渡しました。

子どもたちの心を育てた納豆

ここでも納豆売りは、かよわい女の子の生活を支える大切な仕事として描かれています。そして、苦しい生活にあってもめげることなく生きていく少女の姿は、青年の心にも感動を与え、やがては立派に卒業式を迎えるに至ります。

文部科学省は、近年さかんに我が国の教育に現在不可欠な要素として「生きる力」を提唱しています。しかし、子どもたちはむしろ「生きる力」を失っているのではないでしょうか。豊かな時代に見失っている何かをこうした納豆売りのお話は伝えてくれているような気がします。

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