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納豆発展の歴史

「日本人は納豆を食べるべきです」と、アップルトン女史

不足のタンパク質を納豆で補える

 戦後の混乱の中で、納豆組合は納豆をGHQに理解してもらうため、農林省の長沢武氏(農政局農村工業課長)に依頼して英文資料を作りました。

 『納豆(大豆チーズ・SOY-BEANCHEESE)について』というタイトルのこの資料は、古くから日本人の副食物だった納豆の起源とその普及状態、納豆菌を使った衛生的な納豆の近代的製造法に力点を置いた内容でした。

 また、外国人に納豆を身近な食品として感じとってもらうために、ヨーロッパのチーズにも勝る「大豆チーズ」として位置づけ、納豆の栄養効果とそのデータをあげています。

 昭和24年4月、三越本店で「大豆文化展覧会」が開かれ、GHQの主任担当官だったアップルトン女史がやってきました。この時、彼女は『納豆について』という英文資料を目にして、関心を深めたものと推測されます。というのも、それから3か月後の7月、東京・上野の笠倉孝二氏の納豆工場に、アップルトン女史が視察に訪れたからです。 終戦直後の日本人に不足しているタンパク質を、「納豆を食べることによって補うことができるのではないか」という考え方を持っていたためでした。

製法パネル
製法パネル
資料提供:(有)丸善尾竹納豆製造所 善当 直彦氏

 アメリカでは、食品工場の衛生設備はとくにやかましいと聞いていた組合の役員は、数日前から工場の土間をコンクリートに変え、壁をペンキ塗りにし、窓には虫よけの金網、出入口にはノレンをかけるなど、当時の食品製造工場としては、まさに衛生的なモデル工場に仕上げ、食品業界通としてチェックの目も厳しい女史を出迎えたといいます。