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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その6 利休の愛した「納豆」-『利休百会記』

千利休(1522-1591)は、茶道の中でもいわゆるわび茶の大成者として知られます。茶人は自分が客を招いた茶会の茶道具や懐石料理の献立を手控えとして残す習慣があります(自会記)。また客として招かれた場合も、その日の茶道具や懐石料理の献立を記録して後に返礼に招く場合などの参考とします(他会記)。『松屋会記』・『天王寺屋会記』などがよく知られています。利休には最晩年の天正18(1590)年から19年にかけての100回に及ぶ茶会記『利休百会記』が残されています。自ら記録したものではないようですが、当時から茶人として著名であった利休の茶会ですから、その門弟たちはもとより茶人たちにとっては模範的な茶会として記録されたものと考えられます。

利休の愛した「納豆」-『利休百会記』

茶会といっても現在のような大寄せの茶会ではなく、当時は茶事という少人数での茶会でした。時代や時季によって少し異なりますが、基本的には、

席入り→ 初炭点前→ 懐石→ 仲立→ 濃茶点前→ 後炭点前→ 薄茶点前 

 

といった流れで茶事は進行します。茶を供される前には懐石という一汁三菜程度の軽い食事が出されます。

『利休百会記』には、茶会に際して利休が「納豆」を懐石に使っている例が、以下の7回にみられます。

天正18 9 13 上様 納豆汁 うなぎなます めし   一の膳
天正18 10 30 賀須屋内膳正 納豆汁 鮭焼き物 くろめ めし 鯛(鯉)さしみ
天正18 11 10 羽柴勝俊 納豆汁 鮭焼き物 くろめ めし 鯛さしみ
天正18 11 14 細川幽齋 納豆汁 なべやき 鯛さしみ  
天正18 11 30 有馬中書 納豆汁 鯛の焼き物 鮒のなます めし  
天正18 11 30 こじまや道察 納豆汁 さけの焼き物 鯉のさしみ めし  
天正18 12 1 堺本住坊 納豆汁 さけの焼き物 くろめ めし たはらこ

天正18年は利休が自刃する前年にあたり、利休のわび茶への志向もほぼ固まっていた時期でもあります。この時期にこうして盛んに「納豆」を用いて茶の湯の客をもてなしていることは、利休のめざした茶の湯の世界に「納豆」がフィットしていたことの証ともいえるかもしれません。

わび茶とは、貴顕たちによる中国からの舶載品を飾り立てる(唐物荘厳)のではなく、我が国で生産された陶器(和物)を中心に用いて行っていこうとする茶の湯です。ですからけっしておごらず、わざとらしさをうち消そうとする世界なのです。懐石も饗宴の料理から日常のさりげない料理へと転換されていくような工夫がされていったと考えられます。

とはいえ、完全に日常食というわけではなく、鯛など当時としても贅沢な食材が盛り込まれてもいます。もしかすると日常の風情を出すのに納豆が活用されたのかもしれません。天正18年9月13日に客として「上様」とあるのは豊臣秀吉のことです。秀吉も若かりし日にはおそらく納豆汁で寒さをしのいだ体験があったことでしょう。そうした秀吉に利休がわび茶のもてなしに納豆汁を供したのは、秀吉には懐かしさを醸し出す心入れとして受けとめられたかもしれません。

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