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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その7 精進界の英雄・納豆太郎糸重−『精進魚鳥物語』

室町時代終わりになると多くの御伽草子が作られます。現在知られている子ども向けのおとぎ話「浦島太郎」や「一寸法師」などもそうした御伽草子の流れを受けています。「とぎ」とは「話し相手をして退屈を慰める」という意味です。現代でもそうですが生活のゆとりが生まれてくると、大衆はこぞって娯楽を求める傾向があります。大型連休にはレンタルビデオショップが大繁盛するのとあまりかわらない光景が室町時代にもあったと考えればよいでしょう。

そうした読み物は、『源氏物語』のような王朝貴族趣味による高尚な作品ではなく、気軽に楽しめる作品が多かったわけです。さしずめ現代のお父さんたちがバラエティー番組を自宅でごろ寝しながら見るという感覚に近いものかもしれません。そうした作品ですから、古典作品のパロディーであったり、構成も単純な作品が少なくありません。

その一つのパターンとして、たとえば「酒茶論」に代表される架空のディベート作品が見られます。酒飲みと甘党、すなわち左党と右党がそれぞれの利害を説いて争うという趣向です。もちろんその優劣を争うこと自体が馬鹿馬鹿しいのですが、それを合戦に見立てて楽しんだわけです。

『精進魚類物語』もそうした作品の一つです。『平家物語』のパロディーで、納豆や野菜などの精進物と魚や鳥という生臭物たちとが戦い、最後には精進物が勝ち魚鳥は鍋で煮られてしまうという展開です。

精進界の英雄・納豆太郎糸重−『精進魚鳥物語』

次はその発端の一部です。本文は『群書類従』によりました。

 去る魚鳥元季壬申八月一日精進魚類の殿原は。御料の大番にぞまいりける遅参をば。闕番にこそ付られけれ。折ふし御料は。八幡宮の御斎礼にて。放生會といひ彼岸といひ。かたがた御精進にてぞ渡らせ給ひける。ここに越後国の住人鮭の大介鰭長が子共に。はららご(はららご)の太郎粒実。同次郎弼吉とて兄弟二人候しをば。遙の末座へぞ下されける。
 ここに美濃国住人大豆の御所の子息納豆太郎糸重ばかりをぞ御身近くはめされける。鮭が子共腹を立て。一つはし申て。殿原にあぢははせむと思へども。父大介に申合てこそ火にも水にも入らむずとて。干鮭色の狩衣着て。山吹の井での里へぞ下られける。其夜も明けぬれば。駒に鞭をあげて。夜を日についで打程に。同八月三日酉の一てむには。越後国大河郡鮭の庄。父大介の館に下着する。兄弟左右に相並びて畏て申けるは。われら此間大番近習の為に上洛仕候しかども。大尽一の御の子息納豆太太郎に御心を移し。御目にもかけられす。剰恥辱におよび。末座へをひ下され候間。常座にていかにもなり。火にも水にもいらんと存知候しかども。如斯の子細をも申合てこそと存候つる間。是まで下向とぞ申ける。

越後の鮭大介鰭長(ひれなが)の子どもたちが美濃の大豆の御所の子息納豆太郎糸重に上座を奪われたとして、その恥辱をはらすために合戦におよびます。それぞれの味方には、さまざまな魚鳥と野菜などが集結してきます。そして、いよいよ精進物軍の出陣となりました。

 納豆太。その日の装束には。塩干橋かきたる直垂に。しらいとおどしの大鎧。草摺長にさくときて。梅干の甲の緒をしめ。かぶら藤の弓のまむ中にぎり。磯のかぢめを めし寄て。きたはせたる青蕪を。十六までこそ指たりけれ。五きにあまるむぎ大豆に。前後の山形には。陶淵明が友とせし。重陽宴に汲なれし菊酒に。さかづきをとりそへたる所を。みがきつけにしたりける。金覆輪の鞍をきて。ゆらりと乗てうち出たり。                
 甥の唐醤太郎。これも同装束にて。河原毛の馬にぞのったりける。煎大豆(口笑)太郎。自然のことあらば。腹きらむずるおもひにて。おどりばねするごまめの五さゐなるにぞのったりける。さるほどに。五声宮漏明なむとする後。一点の窓灯消えなんとする時。大手搦手に寄来り。一度に時をつくり。大音揚て名のりけるは。
 遠くは音にも聞つらむ。近くは目にもみよかし。極楽浄土にあんなる孔雀鳳凰には三代の末孫。恋しき人に逢坂にすむ鶏の雅楽助長尾と名乗て。ほろ袋を敲てたゞかけろかけろとぞ下知しける。
 城の中にも是をきゝて。納豆太あぶみふんばり。つ立あがって。大音あげて名のりけるは。神武天皇よりこのかた。七十二代の後胤。深草の天皇に五代の苗裔。畠山のさやまめには三代の末孫。大豆の御料の嫡子納豆太節糸重と名乗て。二羽矢の味噌蕪をうちくはせ。よっぴきつめてひゃうと射。雅楽助長尾がほろぶくろ。ふと射とをし。次に立たる白鷺壹岐守が細頭。あやうく射かけて。後なる大角豆。畠山にこなりしてこそたちたりけれ。

このように納豆太郎は装束にも、「しらいとおどし」の大鎧を着るなど納豆の実際を反映しています。そして、その名乗りによると、出自は深草天皇から五代目の畠山さやまめから三代目大豆御料の嫡子ということになるようです。もちろんこれは「草」→「畠」→「大豆」→「納豆」という連想からの系図であり、本当の系図ではないことは当然です。

『平家物語』をパロディー化した合戦物語ですが、その精進物側の大将として納豆が選ばれていることは興味深いですね。納豆の持つ粘り強い感じから大将の器量にふさわしい存在として選ばれたのでしょうか。

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