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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その8 えー「納豆」でお笑いを一席−咄本『醒睡笑』ほか

『醒睡笑』(元和9・1623年序)は落語の元祖といわれる安楽庵策伝(1554-1642)による咄本です。咄本とは江戸時代を通じて刊行された、口承文学としての「咄」を文字にして読み物として出版したもので、『醒睡笑』はその中でも古くて有名なものの一つです。

座頭の琵琶負ふて来る見つけ、おどけ者が「なっとの坊は、いづくよりいづくへのお通りぞ。わらの中に寝てから、糸引きに行く」と。
見たところうまそうなりやこの茶の子 名はから糸といふてくれなゐ

現代語にすると、

目の不自由な座頭が琵琶を背負って来るのを見つけて、ふざけた者が「なっと坊はどちらからどちらにお通りですか。わらの中で寝てから(琵琶の)糸を弾くのでしょう」とからかった。
見たところおいしそうですね。このお茶うけは。その名は唐糸と言うてくれませんか。 

となるでしょうか。
琵琶を弾く法師ですから、「糸を弾く」ので「なっとの坊」とからかっています。このお茶うけの納豆は糸引き納豆のようですから、現在の干納豆と同じような感じですでに食べられていたことがうかがえます。

また『当世手打笑』(延宝9・1681年刊)には「旦那坊主粗相の事」として、

旦那坊を呼びて、納豆汁をふるまはんとて、苞口取出し、「これは女房どもが、さいさいにねさせました。精進物はお寺様の料理がよいはずじゃ。こなた、なされませい」と言へば、御坊、「心得ました」とて、かの納豆を引きよせ、苞の口をあけ、かいでみて、「さてもよい豆のねれやうや。思ひやられた。おか様のが」と言ひて、ちやつと口をふさがれた。

とあります。こちらは現代語訳しづらいところもありますが、いちおうしておきます。

寺の檀家が旦那寺の僧侶を呼んで、納豆汁をふるまおうとして、納豆を藁苞から取り出し、「これは私の女房がしっかりと熟成させました。精進物ですからお寺様で料理される方がよいと思います。あなたがなさいませ」と言うと、僧は「心得ました」と言って、その納豆を引き寄せ、藁苞の口を開けてにおいをかいで、「それにしてもよい熟成具合ですね。思い出されましたよ。奥様のが」と言って、ちゃっと口をふさがれた。

オチが少しお色気めいていて、解説しづらいですので、こちらもちゃっと筆を流すことにいたしましょう。

えー「納豆」でお笑いを一席−咄本『醒睡笑』ほか

次の『落咄腰巾着』(享和4・1804年刊)は『東海道中膝栗毛』で知られる十返舎一九(1765-1831)の作品です。

「俄か商ひ」

剣術の師匠おちぶれ、弟子はおちて暮らしかたに困り、商売しよふにも、元手でがなし。ふと思ひつきて、古き木刀・竹刀を集めて、これを売ふとかつぎ出し、
「ヤア、たゝきやつとうやア」と売あるく。

ある家から、

「ヲイ、たゝきなつとう売りで」
「ハイ、まいりましたかい」
「ヲヤ、納豆じゃアねへか」
うりて 「イエ、やっとうでごさります」
かいて「こいつはへんちきだ。だれがそんなものを買うもんで」
うりて 「イエ、そふおっしゃりますな。よく売れます」
かいて「どふして売れる」
うりて 「ハテ、先づ第一、夜道などをなさるに、犬をくらはせるが御重宝。お宿では又、盗賊などのはいった時、なぐりまはすに、いたってよふござりますから、そこでよく売れます」
かいて「なるほど、それでは重宝なものだ」

これを現代語訳すると、

「にわか商売」 

剣術の師匠が落ちぶれて、弟子たちも居なくなり暮らしに困って、商売をしようとしても元手かない。ふと思いついて、古い木刀や竹刀を集めて、これを売ろうと担ぎ出して、「やあ〜たたまやっとう(剣術のときのかけ声)」と売り歩いた。

ある家から、

「おい、たたき納豆売りかい」
「はい、およびですか」
「おや、納豆じゃないのか」
「いいえ、やっとうでございます」
「こいつは変なやつだ。誰がそんな物を買うんもんかい」
「いいえ、そうおっしゃいますな。よく売れるんです」
「どうして売れるんだい」
「はてさて、まず第一に、夜道をお歩きなさるのに犬を追い払うのに便利です。自宅では、盗賊などが入ったときに殴り回すのに、いたってよいものですので、それでよく売れます」
「なるほど。それは便利だ」

林屋正蔵作『落噺笑富林』(天保4・1833年刊)にも次のような咄があります。

「儀太夫好の亭主」
亭 帳合にかゝつても、文句の所で帳をつけ、相の手の所で判をおすその拍子のよさ。
上るり「そりやきこへませぬ 才三さん。チンチント」
判を二つおす。
それより昼ごろになれバ、台所へいでゝ、
上るり「なんぞそこらに昼食の菜ハないかと、鼠入らずをおしひらけば、こぶにしろ豆、ひじきのおあい、さつてもうましと舌つゞミ、たんぽゝしたしにまぐろのきり身、これでは喰ぬ」とよばはつたり。
その夜もすでに明る朝、はや東雲の明烏、納豆かはんと立出て、
「コリヤコリヤあきんど。叩てあるか。たゞし又つぶのまんまでうりやるのか。豆腐のさいのめ、青菜のぎくゝ、きざんで用意はしてあらん。知れた事だがねんの為、返答聞ん。なゝなんと納豆納豆」
と呼はつたり。
あきんど、口さみせんにて、
あきんど「チンチツンツン、つぶでござい」
亭 「その三味線は、ヨイ糸引じや」

これは落語の「寝床」に出てくるような義太夫好きの亭主に納豆売りが口三味線を合わせて売り込むという咄です。

これらの咄はいずれも現在の糸引き納豆を念頭に置いた笑い話のようです。江戸時代のいわば娯楽の花形のひとつであつた落語でも納豆は素材としてとりあげられ、庶民の笑いのネタになるほどに食文化として根付いていたことがここからもわかります。

また、最後の咄からは1800年頃まではまだ「叩き納豆」として販売が主流であったものが次第に粒のままで売られるようになった過程もわかる、納豆史的にも「おもしろい」咄といえるでしょう。

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