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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その11 蕪村が描き出す「納豆」の<美>

松尾芭蕉の納豆の句もなかなか風情がありましたが、天明期を代表する俳人与謝蕪村(1716-1783)の句もになると納豆もさらに句の中で美しさを増してきます。納豆<美>は言い過ぎかもしれませんが、次の句などはまさにそう称してもいいくらいの句です。

朱にめづる根来折敷や納豆汁(安永4・1775年)

朱塗の色の美しい根来塗の折敷で出される納豆汁であることよ、という意味になるでしょうか。根来塗は紀州の名刹根来寺の什物が表面の朱が剥落して下地の黒が表面に出てきて、それが景色となってめでられ、後にはわざわざ下地を見せて塗った漆器のことです。折敷きも高脚膳に代表される本膳と比べると足の短い膳をいい、わび茶の茶席ではこの折敷でもさらに脚のついていないものを用いるほどです。「納豆汁」が冬の季語ですから、冬の寒さのなか、おそらく夜食として納豆汁が供されたのでしょうか。夜食かどうかは句からは判然としませんけれども、谷崎潤一郎の名随筆『陰翳礼賛』にも京都の名店「わらんじや」で灯火のもと漆器での食事に感激したようすを、

わらんじやの座敷と云うのは四畳半ぐらいの小じんまりした茶席であって、床柱や天井なども黒光りに光っているから、行燈式の電燈でも勿論暗い感じがする。が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆらゆらとまたたゝく蔭にある膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。

と書いています。もしもこの句が、この谷崎の感性と通じるとしたら、やはり夜とした方が句境が広がるでしょう。わびしいもてなしのなかだからこそ、根来のかすかに残った朱塗の部分に蕪村の目がいったと考えられるのではないでしょうか。『蕪村全句集』(藤田真一・清登典子/おうふう 2000)によると

朱塗りの美しい根来塗りの食膳に納豆汁がよく似合い、これを賞しながらの納豆汁は格別だ

という解釈になっています。

朝霜や室の揚屋の納豆汁(安永4年・1775年)

こちらの句は「朝霜」とありますから朝の句です。「室」とは瀬戸内の港「室の津」を指します。古くから港町として栄えたため、それにともなって遊里も繁栄した所でもあります。「揚屋」とは「置屋」から遊女を呼んで遊ぶ場所です。冬の一夜を共にした遊女と霜の降りるほど冷え込んだ翌朝に二人で納豆汁をすすって温まっているようすを描いています。「室」と「納豆汁」とが連想になります。

蕪村が描き出す「納豆」の<美>

先ほどの『蕪村全句集』によると

遊興の一夜が明け、霜の降りた寒い朝、室の揚屋で納豆汁が供されている。

という意味のようです。

入道のよよとまゐりぬ納豆汁(明和5・1768年)

この句は 『蕪村全句集』では、

身分ある入道殿がよだれを垂らしつつ納豆汁を一気に召し上がった。

との解釈を示しています。「よよと」とは「雫を垂らしつつ一気に飲む様」ということのようです。「入道」が誰を指すかは具体的はわかりませんが、印象としては「入道相国」平清盛が連想されます。『平家物語』巻三「金渡」に

又おとど、「我朝にはいかなる大善根をしをいたり共、子孫あひついでとぶらはう事ありがたし。他国にいかなる善根をもして、後世を訪はればやとて、安元の此ほひ、鎮西より妙典といふ船頭をめしのぼせ、人を遥にのけて御対面あり。金を三千五百両めしよせて、「汝は大正直の者であんなれば、五百両をば汝にたぶ。三千両を宋朝へ渡し、育王山へまいらせて、千両を僧にひき、二千両をば御門へまいらせ、田代を育王山へ申よせて、我後世とぶらはせよ」とぞの給ける。

妙典是を給はて、万里の煙浪を凌ぎつつ、大宋国へぞ渡りける。育王山の方丈仏照禅師徳光にあひ奉り、此由申たりければ、随喜感嘆して、千両を僧にひき、二千両をば御門へまいらせ、おとどの申されける旨を具に奏聞せられたりければ、御門大に感じおぼしめして、五百町の田代を育王山へぞよせられける。されば日本の大臣平朝臣重盛公の後生善処と祈る事、いまに絶ずとぞ承る。

とあるように、清盛の長男重盛は臨終に際して、大金を中国の名刹阿育王山に寄進したと伝えられています。そのため川柳などでは、重盛にはその返礼として中国から納豆が届けられたにちがいないというパロディーが一般化していたようです。それとの関連も含めるとやはり清盛のイメージが強くうかがえます。

下部等に箸取らせけり納豆汁(明和5年・1768年)

先の句と近い光景の句ではないでしょうか。冬の寒い中の出陣を控えてか、下部たちに酒ならぬ納豆汁が提供されているというのです。『徒然草』には「下部に酒飲ますることは心すべきことなり」(87段)とあることをふまえて「酒ならぬ納豆汁を振る舞う場面を設定」(『蕪村全句集』)しているのです。

酒で気勢をあげるべきところなのにもかかわらず、納豆汁で気勢をあげている姿は、やがては敗走していく平家軍の運命を思わせるような印象が残ります。蕪村がこの句をそうした意図で詠んだかどうかは別として、この句を並べると、そうした印象になるから不思議ですね。

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