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納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

その16 清元にも「納豆」登場

清元は江戸時代後期文化11年(1814)に清元延寿太夫(初世1777-1825)が富本節から独立して起こした邦楽です。「唄」と「語り」を交えた浄瑠璃の流れを受けたもので、現在でも歌舞伎舞踊の舞台などには欠かせない邦楽として知られています。

清元にも「納豆」登場

その清元「月雪花蒔繪巵」(つきゆきはなまきえのさかずき)には納豆売りが登場します。ここでも納豆売りは「雪」に代表される冬の景物として扱われています。 の巻での登場です。

『風に随つて、しいて柳花の舞を学ぶと、異国の人の詩(からうた)も木毎に花ぞと詠じける、わが敷島の言の葉もいづれ眺めは変りなき、面白妙にいざさらば『雪見に船と朝まだき浮かれ鴉に起されて眠い所を奇妙とは、世事の勤めに湯帰りの足駄も怪我も転ずや、むきな芸者で立て通す『世過ぎ身過ぎを合せて見れば七ツ起きしてナト納豆たゝき納豆と他所はまだ、夢の内から売場先コリヤモシとんだお早いね。扨は朝湯でお磨きの、うまく何処ぞへおくはせに『イエなんのまあ、そんな厭味は断や『エゝいかさまの小町の因縁が、わかっておしや穴かしこ『遠慮も納豆に葱陳皮、芥(からし)はよしか吉原へ、まぐれて今朝の市戻り『延喜でいつもの買物の、道から無理に引張られ、今日もゑてめが居なんしと、とめる其の手をよい気さと、連を残して後朝に『雨が降るとて居続の『所を雪に帰るとは、しまりの小口と我ながら思案あり顔鼻の先、氷らせてこそ歩み来て『コリヤアいつもの納豆屋さんか、なんといゝ物が降ったぢアないか『何のよい物どころか、私等には冷いものさ『モシお前は市帰りの持起し酒、よい機嫌で今お帰りかへ『サアとんだ奴に引掛かって、夕べの酒の腹塩梅『モシ其腹直しには商売物の納豆汁『コレさお前が一所に行くなら用心して、内ぢやアてつきりこれこれが『何置きやアがれ『イエ置きやすまいもし『斯うあらうとは始めからふて居ても真実と、言われて鈍(のろ)き女気に……
(国立国会図書館近代デジタルライブラリー『清元集』1909年)

早朝七つ(現在の4時ごろ)から起きて人々がまだ寝静まっているうちから納豆を売り歩く納豆売りと芸者とのやりとりが描かれています。「遠慮も納豆に葱陳皮、芥(からし)はよしか吉原へ」という一節などは、ダジャレめいていてまさしく江戸情緒たっぷりです。江戸の後期になると、納豆もこうした音曲にも取りあげられ、粋の世界にも入っていったのです。

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