1. トップ
  2. 納豆文学史
  3. 番外 昭和の落語名人も納豆売り

納豆文学史「納豆と文学、ときどきこぼれ話」

番外 昭和の落語名人も納豆売り−5代目古今亭志ん生

昭和の落語界の名人として知られる5代目古今亭志ん生。1890年(明治23年)− 1973年(昭和48年)。金原亭馬生と古今亭志ん朝の父親でもあります。

志ん生の若い頃の貧乏ぶりは有名で、本所業平の「なめくじ長屋」での生活ぶりは落語ファンならば一度は耳にしたことがあることでしょう。

志ん生の得意ネタの一つに「替り目」があります。酔った亭主が自宅の前で人力車に乗ろうとしたりして自宅にもどるが、まだ寝酒を飲むと言い張って寝ようとしません。つまみがないというとおでん屋でなにか買ってこいとうるさく言うので、女房はしかたなく出かけていきます。男は寒いので酒の燗をつけようとするけれども、それが面倒くさくなったので、家の前を通りかかったうどん屋に燗をつけさせ、あげくに因縁をつけて追い返してしまいます。次に新内流しをからかっているところに女房が帰ってきて、うどん屋との顛末を耳にし、なんとか謝ろうとうどん屋を呼び返そうとすると、うどん屋が「いま行くとちょうど銚子の替り目です」と言って逃げるという話です。

酒好きでも知られた志ん生は、酔ったまま高座に上がり寝込んでしまうと、お客が「寝せといてやれ」と言ったほどであるといいます。まさにこの話は彼の生き方をそのまま演じた話とも言えるでしょう。

そんななかに、男が帰宅して女房につまみをせびる場面で、

「今朝、食べた納豆の残りが13粒ばかりあったろう、あれ、出してくれ」
「ああ、それ食べちゃった」
「おまえは何でもたべちゃうなぁ」

というやりとりがあります。

志ん生の長女である美濃部美津子さんの『三人噺』(2002)には、志ん生の納豆好きがこの部分とともに紹介されています。
志ん生はとにかく納豆好きで納豆なしではいられなかったそうです。古今亭志ん駒が弟子入りにきたとき、玄関のところに立った大師匠の襟にご飯粒と納豆がついていて驚いたというエピソードも紹介されています。志ん生は若い頃、事情があって寄席に一時出られない時期がありました。そのときに納豆売りで生計を立てようとしたようです。ところが、あの「納豆ぉ〜納豆ぉ〜」の声が恥ずかしくて出せず、人のいないところばかり売り歩いていて少しも売れなくて、家族でその売れ残りを朝昼晩と食べていたそうです。

昭和の名人とうたわれた落語家5代目古今亭志ん生の若いころの苦労話に納豆が登場することには、落語に描かれる庶民の世界と納豆とが、昭和になっても深く関わっていたことをよく表しているのかもしれませんね。

昭和の落語名人も納豆売り−5代目古今亭志ん生

※文書や画像を無断で転載・コピーすることを禁止します。